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わたしがイエスキリストの従者である理由。どの教派でもありません

なぜイエス様を信じているのか。
なぜこのような生き方をしているのか。

わたしはキリスト教会に、あまりいいイメージがありません。

なぜ日曜に教会に集まらなければならないのでしょうか。
救われるためなら自らイエス様の真理を学ぶことで聖霊に満たされるはずです。

わたしが世の教会へ導かれなかったのは、もうすでに自分の心の中にイエス様の協会があるからだと思っています。

イエスキリストの従者であるだけです。

この世の悪に支配されていた過去

わたしは本当に神の道を外れる生き方しかしていませんでした。

数えきれないほどの道を踏み外して生きてきました。

本当の愛の意味なんて、考えたこともなかったからです。

育った環境

今思えば、幼い頃の家庭は全くの聖書とは無関係で、
お墓参りをや神社や寺には行くし、テレビは常につけている、
所有欲が強く、人に従うような教育、世に俗した生き方の環境で生活していました。

いつも家族に疑問ばかり抱き、会話をせずにテレビに夢中な家族よりも
たくさん話がしたい、優しい心で会話したいと思っていても
「大人に指図するな!」「大人の言うことを聞け!」と言われ育ってきたので

この世はなんて残酷なんだ。こんな世界に居るのは意味がない。

と自分の価値を低く見積もり、いつも自分で自分を苦しめていたのだと思います。

タバコは自傷行為

タバコは嫌いでした。

異性関係も苦手でした。本当に男の人が苦手だったんです。

それでも、何かにすがりたいのか、タバコを吸うことで手首を切って安心するような
そんな感覚でした。

異性関係も最悪で、ほとんどが暴力・支配される側になり
そこから逃げる力も失うほど道を見失っていました。

快楽のための情事

付き合ったら相手と一心同体になりたいと思いますよね。

でも、気持ちいいことを優先しているだけの相手に興ざめしてしまうという心理的なものがあり、本当の愛って何だろう、なぜこんなにも空しい気持ちになるのだろうと冷めたわたしがいました。

本当の愛で一つになるってことは、神様が許してくれた唯一の夫婦の証なんですよね。

生きているのに死んでいるような鎖

そんな中、とあることをきっかけに

一筋の希望を失ってしまい、自分の体こそ汚れていて
こころも体も壊れているのだから、もうどうなってもいいと
どんどん重みのある世俗へ吸い寄せられるのです。

心はとてつもなく重い鎖に繋がれている感覚で
月経の度に死を求めるゾンビのような生きながら死んでくいく生活が続きました。

映画に導かれて

その頃、サタンの支配下である映画や音楽に心を癒された気でいた時期に
「愛のむきだし」(園子温監督)という映画に出会って、聖書に愛があることを知りました。

グロとエロがあるので紹介は控えますが、見ごたえはあります。。。

そこである一説が読まれます。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、傲慢になりません。

コリントへの手紙Ⅰ13章-4

そしてまた

こういうわけで、いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているものは愛です。

コリントへの手紙Ⅰ13章-13

この言葉がわたしの心に残り、聖書を手にしたきっかけになりました。

わたしは幼い頃から、愛を求めていただけなのです。

仕事の前後に良く読むようになったのがこちらです⇩

今は売ってないようですが、中古ではまだ購入できます。

聖書はいろいろな訳があるのですが、個人的に新改訳・口語訳を持っています。

満足に読めてはいなかった

買って読んではいたものの、初めから順番に読んでいたわけではなく、開いたページを理解していくような読み方をしていました。

こころに響く気がするものの、読むと必ず睡魔が襲ってきてしまい、ちゃんと読んでいたとはいえませんでした。

聖書がまさか生きている本だとは、その時は知りませんでした。

なかなか神の真理へたどり着けず

そのまま、月日は流れていき、

まったくの不信仰といいますか、神を知らぬまま過ごしていました。

ですが、唯一産まれてくれたわたしの子供は
いつも優しさと勇気に満ち溢れ、子供から学ぶべきことがたくさんありました。

わたしは、この子がまだ0歳のころから、一人の「人」として人権を尊重してあげられることを
望んでいました。いつも、子供は大人の都合に押し付けられることがないように。

それでも周りの大人や、権威ある人々は激しく非難してくることもありました。

でも子供はいつも純粋で汚れなく、悪いエネルギーや身体に悪いものは
身体が拒否反応でアレルギー症状が出ます。

だんだんと世の中の常識が誰かの作られた世界だということに気づいたのです。

ある日、いつものように残虐なニュースや不安を煽るメディアの様子に疑問を抱き、
そこでこの世がサタンの悪に満ちていることに気づきます。

そして、音楽業界・メディア・ニューエイジ(占いやヨガ、アセンションやスピリチュアル界隈など)が
悪に染まっていたことを知り、イエスキリストだけが悪に打ち勝つことを知ったのです。

それは、霊的な体験があって、実感しました。体感したのです。

そして、わたしの子供までも、霊的体験をしました。
わたしだけではなく、子供までも導いてくださったことに感謝しかありません。

祈ることは、悪に打ち勝つ唯一の方法だと信じます。

子供に聖書を教えたら、大変気に入りまして
ずっとしまい込んでいた新約聖書を息子とともに1から読むことになりました⇩

もう子供は毎日寝る前に「ママみことば読むね!」と言って、一人で読んで
わからないたとえは自分から聞いてきてくれます。

聖書にはすべてフリガナがふってあるのです。

わたしも聞かれたら答えますが、あとから間違って解釈していたことは
子供と一緒に吟味してます。

今は新約聖書から、旧約聖書をも一緒に読んでいます。

聖書新改訳 中型スタンダード版(2017) 引照・注付 [ 新日本聖書刊行会 ]

個人的にはこちらの口語訳ではなく新改訳が一番読みやすくて好きです。

子供が読むと、「かみはいわれた。『ひかりあれ~。』」となりきってみたりするので
可愛らしいです。

子供が理解したパンのたとえ

私に聖書を渡して来るとき、子供は
「ママ、今日のパンだよ」と言って渡してくれる時があります。

断食の話も理解してくれてます。

イエスは答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

マタイの福音書4.4

御言葉は聖書の中に書いてあります。

断食や、将来食べ物に困ってしまっても、神の御言葉を食べましょうと伝えてあります。

聖書は、神を知る手段であるし、神様の言葉は命の剣だと思っています。
でもそれ以上に大切なのは、祈ること。これにつきます。

おわりに

イエス様が心に来てくださると、強く生きる力が沸いてきます。

父なる神と、イエスキリストの平穏と聖霊の恵みが皆様とともにありますように♥