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【神様からの預言】№2

個人的な預言を受け取れるようになりました。
神様と対話を重ねていくことで、私だけではなく、多くの方へも当てはなる解き明かしができるようになり、不定期ではございますが、こちらでアップしていきたいと思います。

よろしければ、一緒に吟味してください✨

2025.07.04 

主は言われます。

愛する子よ。

あなたは、自分の欲しいものがあるのに
自分の手を汚さずに、手に入れようとするのか。

箴言 14:23: 「どんな骨折りにも益がある。しかし、ただの口先だけは貧乏に終わる。」

マタイによる福音書 7:13-14: 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入っていく者が多いのです。いのちに至る門は狭く、その道は細いからです。そして、それを見いだす者が少ないのです。」

自分は自由でいたいのに
何者であるかをわからずに、ゴールが何も見えていないのではないか。

私には計画がある。

あなたには、あなたにしてもらいたい計画が初めからある。
どんなに回り道をしたって、あなたはここにたどり着く。

安心して、身を委ねてみなさい。

エレミヤ書 29:11: 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。—主の御告げ—」

箴言 3:5-6: 「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたのすべての道で主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

あなたにとって、心地の良い場所は
あなたが1番逃げたかった場所かもしれない。

いざ、勇気を出せば、それが1番自分にとっても幸せだと気づける日が来るのだから。

ローマ人への手紙 5:3-4: 「そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」

また、人は誰でも、甘い誘惑に目が膨らむ。
でも、それは一生続く幸せではない。

おいしいものは、歯が丈夫でないと、何も味わえないように、
何かが欠けてしまえば
おいしいものも何もかもいらなくなる。

手放してしまいなさい。
あなたに必要なものは、そこには本当は存在していないのだから。

第一ヨハネ 2:15-17: 「世をも世にあるものをも愛してはなりません。もしだれでも世を愛するなら、父の愛はその人のうちにありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲望、目の欲望、暮らし向きの自慢は、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲望は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は、永遠に生き続けます。」

また、みんなが欲しい人からの優しさや愛は
誰かが作り込んだ浅ましい罠であることもある。

はじめは、誰でも優しくて
心を許してしまいたくなるが、蓋を開けてみれば
アダムとイブの蛇の誘惑である。

創世記 3:1-7

第二コリント 11:14: 「しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するからです。」

その罠の最終的な行方は、死である。

でも、本当の愛は廃れない。
何があっても、壊れない。
なくならない。そして消えない。

そこに残り続けるもの、それを追い求めれば
あなたにも、たくさんの宝が残るのだ。

愛を探しなさい。
見出しなさい。

コリント人への手紙第一 13:4-8: 「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。自慢しない。高慢にならない。礼儀をわきまえる。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みを抱かない。不義を喜ばないで、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決してなくならない。」

ヨハネの福音書 15:13: 「友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

あなたには、本当に守るべきものがあるはずだ。
一直線に向かってみなさい。

その勇気が、はじめの1歩となり、将来への永遠の幸福につながるのだから。

勇気を出しなさい。あなたの幸福はあなたが思ってる以上に広く素晴らしい。

心配するな。
私はいつもそばにいる。
愛しているよ。

ヨシュア記 1:9: 「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたがどこへ行っても、あなたの神、主があなたとともにいるからである。」

マタイによる福音書 28:20: 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

詩篇 23:4: 「たとい、死の陰の谷を歩むことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにいてくださるからです。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」

と主は言われます。

これは、誠実さがないと、真の愛や幸福は手に入らないことを示唆している。
不誠実さや、隠し事は、かえって足元をすくわれるのである。