個人的な預言を受け取れるようになりました。
神様と対話を重ねていくことで、私だけではなく、多くの方へも当てはなる解き明かしができるようになり、不定期ではございますが、こちらでアップしていきたいと思います。
よろしければ、一緒に吟味してください✨
2025.07.02
主は言われます。
愛する子よ。
目の前にある宝物は、本当にあなたが大切だと思うものだと思うかい?
もし自分の宝物がなくなってしまったら、深い悲しみに陥るだろう。
でも物質的なものはいつかは廃れる。
特に、みんなが欲しがるもの。
甘くて、おいしいもの誘惑や罪のものは、本来はなくても良いもの。
そういったものをいつまでも執着ししんでいると、いずれ全員が足元をすくわれ
戻って来れなくなってしまう。
マタイによる福音書 6:19-21: 「あなたがたは、自分のために地上に宝をたくわえてはなりません。そこでは虫が食い、さびがつき、盗人が穴をあけて盗みます。そうではなく、自分のために天に宝をたくわえなさい。そこでは虫も食わず、さびもつかず、盗人が穴をけることも盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」
箴言 23:5: 「金持ちの富に目を向けるな。それは翼をつけて鷲のように、またたくまに天に飛んでいく。」
登ろうとするが登ることができない。
そんな恐怖の場に迷宮に入り込んでしまうのである。
ローマ人への手紙 6:23: 「罪が支払う報酬は死ですが、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
箴言 5:22: 「悪者は自分の咎の縄目に捕らえられ、自分の罪の綱に絡め取られる。」
でも救いの手と言うものはある。
自分が必要だと思っていたものがなくなったとき、それでもそっとそばにいてくれる人や心がある。
愛がある人は、悲しみを救うことができる。
それはいずれ絆になる。本当はみんな愛を求めている。
詩篇 34:18: 「主は心の打ち砕かれた者に近く、たましいの砕かれた者を救われる。」
ガラテヤ人への手紙 6:2: 「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。」
しかしそれは大切にしないとすぐに消えてしまうものである。
物事にはタイミングがあるのだ。
いつまでも嘆いているとタイミングを逃してしまう。
伝道者の書 3:1: 「何事にも時がある。天の下のすべての営みには時がある。」
エペソ人への手紙 5:16: 「時をよく用いて、悪い日から買い戻しなさい。」
でも、わたしは愛を確かに知っている。愛は普遍なのだ。
みんなのことを愛しているんだ。
みんなの願いも知っている。
みんなの本当に大切なものも知っているのだ。
純粋な願いはわたしに届いている。
たとえそれが一時迷子のように見えなくなってしまっても、あなたは愛されている。
だから安心しなさい。
あなたの心は、本物の愛に動かされるのだ。
一途な思いは、叶うと信じていれば良い。
マルコの福音書 11:24: 「だから、あなたがたに言う。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」
真面目さや不器用だって全部愛されるんだよ。
そのままの君が私は好きだよ。
ヨハネの福音書 3:16: 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
詩篇 139:1-4: 「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたが私の座るのも、立つをも知り、私の思いを遠くから読み取られます。…私のことばが舌の上にある前から、主よ、あなたはそれをすべて知っておられます。」
第一ヨハネ 4:18: 「愛には恐れがありません。かえって完全な愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴うからです。恐れる者には、愛が全うされていません。」
ゼパニヤ書 3:17: 「あなたの神、主は、あなたのただ中にあって、救いの勇士である。主はあなたのことで喜び楽しみ、その愛によってあなたを安らかにし、高らかに歌ってあなたのことで喜ばれる。」
と主は言われます。